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飲酒家の酔い方には、大体二つの型がある。一つは、外部から酔っていくもので、先ず膝がくずれ、衣服の襟元がだらしなくなり、手付があやしくなり、眼付が乱れ、舌がもつれてくる、がそのくせ、意識はわりに混濁せず、どこかしっかりした理性的心棒が根強く残っている。謂わば、運動神経のみが重にアルコールに侵されるらしい。そしても一つは、内部から酔っていくもので、先ず意識の混濁と分裂が初まり、連想作用が突飛になり、想像が奔放になり、筋途立った思考が出来なくなる、がそのかわりに、姿態はなかなか崩れず、視線もしっかりしているし、言葉もはっきりしているし、儀礼的な訓練か習慣かを――実はそんなものは少しもない場合にも――想像させる。謂わば、意識中枢が先ずアルコールに侵されるらしい。顔が赤くなるのは前者に多く、顔が蒼くなるのは後者に多い。そして人は普通、単なる酒席でなく何か用件を交えた場合、前者に対しては用心の必要を感じないことが多く、後者に対しては用心の必要を感ずることが多いけれど、それは認識の不足で、実は逆に、前者に対して、必要なる場合にはより多く用心しなければならない。  中江桂一郎と村尾庄司とは、或る小料理屋の二階で、女中も遠ざけて、二人きりで酒を飲んでいたが、中江はどちらかといえば内部から酔っていく方で、村尾は外部から酔っていく方だった。