心中の考え

ところで、多摩結城のついの羽織着物に高貴織の下着などを着こんだ洒落た中江の方が、古びた薩摩大島などをまとっている村尾よりは、自然態度もしっかりしているのは当然らしいが、小肥りの皮膚の艶々しい中江の顔がわりに血の気が薄く、ふだん蒼白い痩せた村尾の顔が赤くほてっているのは、一寸対照的に奇異に見える。そして中江はぐいぐいと杯をあけるが、村尾は杯にやる手先を躊躇しがちである。その代り、村尾は殆んど一人で饒舌っている。饒舌るというより独白の調子だ。いや独白というよりも、心中の考えをそのまま声に現わしているものらしい。そういう饒舌り方も世にはある。相手が耳を貸そうと貸すまいと、また何と感じようと、一切お構いなしに、気の置けない親しい者が前にいるだけで満足して、やたらに饒舌り続ける。それは一種の精神的嘔吐だ。平素は至って無口だが、アルコールのせいで頭脳の平衡が破れると、何かの機縁で内生活の鬱積を吐き出すようになる。この場合、胃袋に停滞してるものを吐き出すために、喉に指先をつき込むような、そんな無理は少しも行なわれない。嘔吐の機縁となるものは、ただ自然の情勢である。


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